相変わらず君に都合のいい夢ばかりを見続ける

 

錦戸亮ちゃんを追えなくなったのはいつからだろう。

 

私の中で大きく変わったのは亮ちゃんがやめたときよりすばるくんがやめたときだった。6人のエイトを見ている私の熱量は7人だったあのときよりもはるかに落ちて、ぼんやりとしか追えてなかった。 

でもいつかはあのときの熱量は戻ると思った。メンバーが「俺らも(すぐに慣れないのは)一緒だから」みたいなことを言ってくれていたのを信じてて、ゆっくりでいいんだなって思ってからは無理に追うのを辞めた。すばるくんが辞めなければ、と何度も思ったけれど、結局渋谷すばるを恨むことも憎むこともないまま月日が経った。すばるくんががああ言うんだから、と納得させる力があるのが私の見てきた渋谷すばるだった。

そして私が6人のエイトを心の底から受け入れるより先に、亮ちゃんが辞めた。報道を見たときはいろんな感情が入り混じったけれど、その中には「あぁ、もうエイトを追わなくていいんだ」と首を切ってくれたような清々しさもあった。

 

事務所を退所した次の日にすぐにロケットスタートを決めたときはわくわくもした。すぐにFCに入ったし、CDも買った。グループを抜けてから初めて亮ちゃんを見たのは、渋谷公会堂だった。十五祭オーラスから3ヶ月しか経ってなかったけれど、心の整理なんてとっくにできているつもりだった。だから現場に来た。でもそれは物分かりのいいオタクになりたいという願望の表れだったようで、「元気でよかった」とか「今日も顔が可愛くてかっこいい」とか思った次の瞬間にはこんな小さなところで歌わないでくれ、と思っていた。

松竹座という小さな劇場から始まったのは百も承知だが、私が見てきたのはだだっ広いドームに立って眩しいくらいのライトを浴びてフロントに立つ錦戸亮だったのに。渋谷公会堂だってそれなりの会場だけれど、ドームに慣れた私には手が届きそうだと勘違いするバグが起きている。双眼鏡なしで亮ちゃんを見た回数なんてたかが知れているのに、会場のどこにいたって肉眼で全てを捉えられてしまう。オタクに寄り添ってくれて欲しい言葉なんていらないから、ドームに立ってほしい。踊らなくたって、喋らなくたって全然いい。ただ、あの頃みたいに圧倒的なパワーで手なんて届くわけがないと実感させてほしい。会うたびに勝手に失恋する感覚さえもが恋しかった。

関ジャニ∞としてではなく錦戸亮としての記念すべき初めてのライブを見終えた後も、私はよくわからない気持ちに襲われた。よくはわからなかけれどプラスな気持ちで満たされているわけではないことは確かだった。そんな自分に軽く嫌気がさす。

アイドルじゃなくなっても愛せると思っていた。錦戸亮という人間が好きだと思ってたのに、アイドルじゃなくなった瞬間に徐々にとその気持ちが消えてしまうなんて、アイドルじゃなくなった彼も愛せている人たちのことを横目に私は本当に好きだったのかと後ろめたくなった。私って本当に錦戸くんのこと好きだったのかな、と友人に聞いたら「好きすぎて3年半付き合った人と別れたこともあったじゃん、それくらい好きだったよ」と言われて、本当に私って11歳の頃に銀魂沖田総悟に恋してから何も変わってねえなと呆れた。そうなんだよ本当に好きだった。亮ちゃんを好きでいるために、1人で生きていくために就活を頑張って長く働ける安定した会社を選んだし、あった方が便利かと思って車の免許もとったりもした。大好きだったから、あの頃の私の行動の根底にはいつだって錦戸亮ちゃんがいた。

 

でも結局、アイドルしてほしかった自分に絶望すると同時に関ジャニ∞という場所でいろんな表情を見せてくれる彼が好きだったのだと実感する。

関ジャニ∞は私の前に突然現れた青春を具現化したような男たちだったから、ずーっと放課後みたいな時間が続くと思っていた。でももう放課後なんてとっくに終わっているのに、いつまでも終わらない放課後を求めて彷徨う亡霊になるしかなかった。

亮ちゃんのライブに行ったその日は家に帰ってすぐに7人の関ジャニ∞を狂ったように見た。でも多分この先過去を擦りながら生きていくのは限界があると嫌でも察する。好きだった彼らは画面の目の前にいるのに。脳内で「そばかす」が流れる。想い出はいつもキレイだけど それだけじゃおなかがすくわ。一生おなかをすかせて生きていたら餓死することは頭でわかっていた。でも餓死する前にあれだけ私の人生の中心にいたアイドルが二の次になった。

突然両親が離婚した。弟が大学を卒業するまでは絶対にしないと思ってたのに。仲が良くないとわかっていたけど、仲良かった2人の姿も知っているから離婚しないでほしかった。私と弟に何も言わずにいつの間にか父が家を出て行った。そんな父になんて連絡をしたらいいのかなんてわからなかったけれど、ある日父から久々にきた連絡は「病気になって入院している」という内容だった。そこから3ヶ月も経たないうちに、父は亡くなった。そしてすぐにコロナ渦になった。父の葬式もまともにできなくなった。気付いたら母と祖父母(父の両親)の関係が最悪になっていて、その仲介もした。父の借金の話を、私を通して母と祖父母がやりとりするのが地獄だった。そもそもそんな話知らなかったのに、知りたくもなかったのに。コロナの状況がどんどん悪化して、友だちと出かけて憂さ晴らしみたいなこともできなかった。遊びにはいけないけど、仕事には行かないといけない。コロナのせいでイレギュラーな対応に追われた。社会人1年目で通常業務もままならないのに。

なんやかんやありすぎて、普通にHPがゼロに近かった。錦戸亮ちゃんのことも、エイトのことも考える元気は私の中で残ってなかったし、趣味をなくしたけれど新たな趣味を探す元気もなかった。

そんな日々から1年経った頃にインスタライブを見て堂本光一くんに落ちそうになり、そのまた1年後くらいには完全にKinKi Kidsに落ちた。自担と自軍がある生活を取り戻し、一切見なかったテレビとSNSを見るようになった。あんだけエンタメから遠ざかっていたのに、好きな人ができると途端に興味のあるものや気になるものがどんどん増えていった。エンタメが私に近づいてきて世界がどんどん彩られていく中で、自然と5人の関ジャニ∞のことやすばるくん、そして亮ちゃんのことも目にするようになった。

 

KinKiを好きになった年の秋に友だちから亮ちゃんのライブに誘われたので速攻で行くと返事した。アルバムが出てからの公演だったから、アルバムが発売された日にすぐ車で聴いた。錦戸亮のアルバムを聴いているから当たり前だけれど、私が好きだった人の声がして動揺した。あんなに好きだったのに、声を聴くのは久しぶりだった。インタビューで「歌が特別上手なわけじゃないけど、せめて自分で作った曲で届けられたら」とみたいなことを言っていたのが頭に浮かんだ。わたしはやっぱりこの人の作る曲が好きだった。

4曲目に流れてきたのはグループにいた時のソロ曲だった「Half Down」で、イントロを聴いた瞬間にまずい、と思った。予感は的中して「過ごした日々だけが今も輝いたまま 閉じ込めた思いが 時折この胸に渦巻くんだ」というサビが合図かのように亮ちゃんとエイトがなによりいちばんだったあの日を思い出す。閉じ込めた思いが一気に溢れかえったせいでなんとか家にたどり着いたはいいものの、駐車をミスり家の門柱に車をぶつけるハメになった。抉れた門柱の跡を見てどれだけ自分が動揺したかを思い知る、ただ曲を聴いただけなのに。

ライブ会場は、神奈川県民ホールだった。懲りずにドームがホームのグループを好きになってしまったのでだいぶ狭く感じたけれど、渋谷公会堂の時よりは拒否反応はなくなっていた。久々の錦戸亮ちゃんだった。独特なぴょこぴょこと背伸びしながら歩く姿、見覚えのあるギターたちとストラップ。予習したアルバム曲と、たまに懐かしい曲。驚く時に目を見開く顔。手を振る時、一度両手を大きく上にあげるところ。歌ってる時はハイパーかっこいいのに、喋り出すと眉毛を下げて困った顔をしながら歯切れの悪く話すとこ。2年ぶりに見た亮ちゃんは、私が思っていたよりも私の知っている亮ちゃんだ、と思った。

最後の曲は「ラストノート」だった。私が亮ちゃんを追えなくなってから光一くんに落ちるまでのあの空白の3年間の中で、たまたま耳に入ってからいちばん聴いた曲だった。上書きなんで簡単にできなかった。まぁ新しい自担ができたという面ではしたんだけど。でも人混みの中で似た残り香を探したのは確かだし、見返した写真もその続きも、寝ても覚めても追いかけた私にとったら足りないのは錦戸亮ちゃんと7人のエイトだったからあの頃がフラッシュバックしてついに涙が出たけど、やっと泣けたことで同時に少し成仏できた気がした。すばるくんがやめた時はあんなに泣いたのに、亮ちゃんがやめてからはこんなにわんわんと泣いたことはなかった。

"好き"の対象が何もない状態でこの現場に来たらまた私は渋谷公会堂の頃と同じように変わったなと感じる亮ちゃんに寂しさばかり感じて、自分が受け入れられないところばかりに目がいっただろうけれど別の"好き"ができてから行く現場はいい意味で距離もできて当時より昔に固執せず、今の錦戸亮ちゃんを真正面から受け入れることができた。だから、このタイミングで亮ちゃんの現場に来れたことは私の中でとても意味があることだった。

 

冬には18祭にも行った。夏の18祭は、祭だっていうのに勇気が出なかった。エイトコンは十五祭ぶりだった。アイドルではなくなった錦戸亮ちゃんと向き合うことを避けていたように5人のエイトにも向き合えないまま3年が経ってしまったから、元々ホームだった場所なのにすごくアウェーを感じて緊張した。チケットを譲ってくれた人から「誰が好きなんですか?」と聞かれてドキッともした。錦戸くんが元々好きで…と答えたら「そうなんですね!亮ちゃんが好きな人が来てくれて嬉しいです!」と言ってもらえて、すっごく嬉しかったしなぜか救われた気持ちにもなった。

ライブではそこまでネタバレを踏んでなかったので、関ジャニ∞全部のせ!!!みたいなセトリが最高に楽しかった。キラキラのイントロが流れただけで自然とキャー!と口にしてしまう「ダイヤモンドスマイル」、ノーマークだったのにこの現場で聴いたのをきっかけに私的2022の楽曲大賞に食い込んできた「ブラザービート」、ジャニーズメドレーと銘打つものでセトリ入りをすること自体に痺れる「まいったネ、今夜」、もはや嵐の現場では一回も聴けたことないのになぜかエイトの現場でやたら聴く「台風ジェネレーション」etc。そしてマジでなんなんだよ、と思いながら見ていた「ニク食いねェ!」。意味がよくわからないけどなんかおもろくて可愛い、みたいな感情に久々になって懐かしくて泣きそうになった、目の前では丸山くんが肉食いながら歌ってる姿を見て他の4人が爆笑しているのに。ちなみにこの時の私はエイトが全力で夏の18祭の天丼をやっていることを知らないので、当然スタジアムで歌いながら寿司食っていたまるちゃんのことも知りません。

∞レンジャーはイントロがかかった瞬間に身体が反応してポーズを決めてしまうし、よくわかんない必殺技で敵を倒したと思ったら久々にこの目で見ることが叶ったキャンジャニちゃんに会えて、ここのネタバレは踏んでいたのに腰を抜かす。7年ぶりに現れて秋元康作詞で新曲を出す、こういうことを関ジャニ∞は、っていうか妹分のキャンジャニちゃんはするんだよ…としみじみした。

本編の最後は「ひとつのうた」だった。錦戸亮ちゃんのソロパートの中でも「明日になればまた次の街 伝えたいことがまだあり過ぎて…」が飛び抜けて好きだったなぁと、手元の黄色く光らせることを許されたペンライト越しに見る5人のぎゅっと寄り添った姿は多分この先忘れることはできないくらいいい景色に映って、あー来てよかった、と心の底から思った瞬間だった。女子ドルにも通ずる部分があるけれど、一度好きになったグループはいちばん好きだった人が卒業しても脱退してもやっぱり"魂"が好きなんだよ…!と痛感する。いちばん好きだった人はもうそこにはいなかったけれど、愛した5人の姿と愛した楽曲たちがいたるところに散らばっていたライブだったから、この祭に来れて本当によかったと思った。

 

亮ちゃんの現場と5人のエイトコンにやっと行けて、今までは泳げないと知りながら乗った船からわざと海に飛び込んで勝手に溺れていたような息ぐるしさがあったけれど、初めて自分の足で陸に降りれた感じがした。私を降ろして出発する船にも手を振れた気がしたし、今度復路で戻ってくる時にはまたその船に乗りたいなとも思う。

そしてその背中を押してくれたのは私の中では間違いなくKinKi Kidsだったから、光一担になって、KinKi Kids好きになって本当に良かった〜!!KinKi担になってから広いインターネットの世界でエイト担だった頃の友だちにも再会できたりもしたのも嬉しかった。インターネットは最悪だけど、それでもインターネットの世界ではだいぶ期間が空いても昨日のように話せるような出会いもあるからやめられない。

そして3年のブランクがあってもオタクとして何も変わってなかった自分にびっくりする。私は多分、永遠に理想ばかり棚に並べて、相変わらず誰かに都合の良い夢ばかり見ることをやめられないんだと腹を括ることにします。錦戸亮ちゃんの「Half Down」、人生の歌に認定します!